結界を持つ

今回から、ブログを読むことにした。
内容は同じですが、文章を読むのがめんどくさいかたはこちらへ。

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僕は歩くのが好きだ。

クソ暑いなかを歩いて汗かくのは嫌だけど、夏の夜に風を感じながら歩くのはいい。商店街の点々としたあかりとか好き。昼間と違って店内がよく見える。あと細い道で車に先を譲ったりとかしたい。

iTunesで配信されていた、小沢健二と満島ひかりの対談を思い出す。満島ひかりが出すテーマに対して、小沢健二が詞を読む。その時のテーマは「雨の日の 傘の下の プライベート空間(晴れの日にはできないあれこれ)」だった。満島ひかりという人は、なんと素敵なことを考えているのかと思ったものだ。
その中で、こんな話があった。「雨の日の傘の下にはパワーがある。」小沢健二もなんて素敵な返事をするのか。こんな事言われてしまったら、雨の日が楽しみになってしまう。

僕は夜に歩くとき、同じような感覚を持つ。別に新しくない毎日の帰り道。まさかこの距離を一緒に歩きたい人は居ない。彦根のなんて田舎では、この時間に出歩いている人は少ない。外にいても、ここは完全なプライベート空間だ。
別に風景を愛でるわけではない。たいていの場合スマホを覗き込んでいる。(時々本を持っていることもある)

帰り道に歩きながら読む小説はどうしてあんなに面白いのだろう?いつもは即レスのラインにだって、ちょっと凝った返事を返してやろうかという気持ちにもなる。散歩しながらお話する彼女との夜は特別な気持ちになって、話が盛り上がってしまう。深い話にだってなっても仕方ない。

そういえば僕は、結界の話が好きだ。ここまでTwitterに書いてみて、ブログに改めて書きたくなったからこうやって書くことにしたのだ。ああ、これは歩かねば書かれることのなかったブログである。尊い。

結界の話をしよう。神社とかで、めっちゃ階段が多いのがなんでなのか気になったことは無いだろうか?実際どうなのか知らないが、ぼくは「あれが結界」という話が好きだ。長い階段は登るのが大変で、最初は楽しく登り始めた階段も、登り進むにつれて無口になっていく。そうして上までたどり着いた時に「ふっ」と一息つく。
階段をのぼることだけに集中を余儀なくされ、無心になる。何を願い事しようかなとか、必ず叶えたい願い事のことなど考える。そして神社にたどり着く。結界の内側には、別な考え方を持ち込むことは無い。非日常の出来上がりである。

ちょっと難しそうな話をしたけれど、これは日常にもある。例えば、バーの扉が重たいことが多い。それは、秘めたる場所の雰囲気を演出するためらしい。
ひとは重い扉を押しながら、その向こうにある風景や体験に心を躍らせる。やっぱり別な考えを持ち込むスキがなくなっている。ここに結界がある。

僕にとっては、帰りの歩き道がそれにあたるのだ。歩きながら今日何があったのかが整理されていく。そして、自宅へ帰ってきて「ふっ」っと一息つく。やっぱりここには結界がある。
職場と自宅は分けないと、仕事できないって人も多いのではなかろうか。結界が無いからじゃないだろうか。

昨日夜更かししてしまった僕は体の感覚としては昨日がまだ続いている感じがする。今日が始まらない。お風呂に入って、ご飯を食べて、YouTubeを見て、Twitterして、寝る。別に内容はなんでもいい。でも同じことを毎日、同じようにやることで、ここには結界が生まれる。今日と、明日をしっかりと区切ることができる。明日も頑張れる。

そういえば、最初の傘の話も結界の話につながる。傘だとか、夜だとかってやつは結界の存在感をより強固に増す気がする。イヤホンもそうか。音楽もいい。

みんなそれぞれに自分の結界を持つといいと思う。ここまできて気が付いたけど、結界はスイッチと言う言葉と言い換えられるかもしれない。みんなどんな結界を持ってるのだろう。ぜひ教えて欲しい。

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このブログ記事は、この音楽を聞きながら書いた。
帰り道、どうしてもこのリズムが忘れられず口ずさんでしまった。