魂の込め方、知ってますか

最近頑張ってることは、ゲーム製作教室を作る準備。早くやりたい気持ちばっかりが先行して、全然準備を進められなくて、すごくもやもやしてる。仕事って、人が相手だから、近道がない。焦りながらも、落ち着いてやらないと、全く芽が出ない。むずかしい。

昨日の夜、ある方からアドバイスを頂いて、地域の方にご挨拶をするためのチラシを作ることにした。たくさんの事を言われたけれど、最後に言われたことは「もっと魂込めて」だった。

魂込めるってなんだろう。みんなはどうやったらいいのか知ってるのかな。

朝起きたら社長がアドバイスをくれてた。
「ブログを書く時みたいに、本音を全面に出せたらいいね」
そっか。僕のブログって、魂こもってたのか。確かに、僕は書き言葉がいちばんしっくりくるし、伝えたい事と向き合える余裕がある。

普段は「元気にしよう」「敬語で話そう」「失礼の無いようにしよう」「聞こえるように声だそう」「ネガティブなこと言わないようにしよう」「不機嫌に見えないようにしよう」「テンポよく話そう」「話かけやすい雰囲気作ろう」「次どんな話題ふろうかな」「僕と話しててこの人楽しいのかな」「内容薄っぺらくて話し聞いてられん」とかとか考えながら話ししてるから、伝えたい事を伝わりやすく考える余裕とかない。

「みんなが小声で、ゆっくりと、明後日の方向見ながら話ししてくれたらいいのに・・」

これに共感した人が集まって、じめじめする会やりたい。このゆびとーまれ。

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ところで、魂を込めることについて、考えながらTwitter見てたら、ちきりんさんがこんなこと言ってた。

これ見て「もしかして、死に対峙した時に魂が込められる」のかなと思った。なんでだろ。

もし今年死ぬとしても、このブログが僕が生きてた証になる感じがする。ブログは過去の自分と対峙する方法だし、他の人に僕の人柄を感じてもらえるように書く。嫌われてもいいから、僕の本質の一部でも感じてくれたら嬉しいと思って書く。もしかして、魂を込めるって“自分の分身を作ること”かもしれない。

それを人にみてもらうのは怖い。それを否定されることは、僕の人格を否定されることに直結するから。でも、それでも良いから僕は魂を残したい。だれかに僕の事を知ってほしい。たまに思い出して欲しい。
ネットの向こう側のあなたにとっては、僕が死んでてもわからない。でも、こうやって読んでくれてるこの瞬間は、確実に僕が生きてる。

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僕はブログを書くとき、自分に向けて語りかけてる。感覚的には、日記みたいな感じ。未来の自分が「あー成長しているな」「なんだ全然成長してないじゃないか」とか考えるための材料。だから嘘は書いてない。自分に向けて嘘を書く必要がない。

そうすると不思議なことに、将来の自分にとってすごく心に響く文章になっている。過去の記事読むといつも感動する。心に近い場所に向けて書けているおかげか、たまに引っかかった人が反応くれたりする。
技術を得るよりも先に、自分の本音で書くことを知っている僕は幸せ者だと思う。でももっともっと特訓しないと。(まだまだ発信力も、技術力も足りてないから、伝わるべき人の所まで届いてないだろうし。)

誰かが必死に何かを伝えようとしてる時、相手が年下とか年上とか性別とか関係なく、とても心に響く。きっとそれをやればいいんだよね。そう信じて、この勢いで、地域の人に手紙書く。

いつも「不器用でも、必死なんだから伝わってくれる」って、自分に甘えてる。もちろん伝わらない。
それでも正直な気持ちを書く練習しなきゃ。伝わる方法を考えなきゃ。だって好きだもん。

投稿画面の写真って好きかも。困ったらこれを載せることにするー。