ポジティブな言葉を浴びすぎると病気になる

こないだ仕事終わってから、帰宅する電車の中でFacebookを開くと、ある人の投稿が目についた。
投稿の内容はこんな感じ。

「もうだめだ・・これからの生活がよくなるイメージができない。もう意味なんて無いと思えてくる。」そういうたぐいの、一時的な落ち込みにありがちな言葉。投稿の最後には「死にたい」と・・
※今は心の整理もついたようで、投稿は消されてる。

 

不謹慎かもしれないけれど、この投稿を見た時、私は”楽しそう”だと思った。
それは私が落ち込むことが大好きだから。

私は落ち込んでいるときの時間をすっごく大切にしていて、それは深ければ深いほど孤独になれるし、沢山悲しめたり怒れたりするできるから。落ち込むってそれだけで尊いなぁと。
世間にはそれらの感情はよくないものにだって雰囲気があるし、前面に出せない部分になってる。でもそれも人間らしさだし、自分を構成する要素でしょう?だから大切にしたい。

 

この人の投稿を見て、そんな事を思って。
でも辛いのは分かるから、私はこんなメッセージを送りました。

「いろんな事をサボってもいいから、自分のやりたいことだけやろうな。どうせ誰も見てないから大丈夫だよ。」

私が自分が話せる精一杯の言葉。
勇気づけない、元気づけない、干渉しない。
ちょっと相手に触るだけの文章。

 

「必要ないおせっかいしたかな…」って後悔した。すると彼女から突然の電話が。
取ってみると彼女は「ありがとう」と言った。その声は震えていて、感極まっていたようでした。

話しを聞くには、なにやら自分が希望していた道が閉ざされたらしく、今いる場所にいる意味が無いんじゃないかと思ったと。
次第に考える事がエスカレートしてきて、気がついたらあのネガティブな投稿をしてしまったらしい。

 

電話で彼女はこんなことを話してくれた。

・悲しむよりも怒った方がいい。悔しがって怒って、その力をバネに次に活かした方がいい。
・きっと周りは私にもっと向いている適性があると判断したんですよね
・前を向いてがんばります

もしかしたらそれ自身が彼女の本来の姿なのかもしれない。自分の勘違いかもしれない。
それでも私には彼女はずっとポジティブにいようと努めていたようすに見えて、ひどく痛々しかった。

 

その後私は違和感を感じた所についてだけ少し話をした。

・悲しむ事は悪いことじゃない
・起こった事に良いも悪いもない
・判断をする必要はなくて、ただ受け入れる姿勢も大切
・前を向かなくてもいいよ。向きたい時に向けばいいんだから。

ちょっと強ばっている彼女の身体を溶かすための言葉たち。
無理してどっかで聞いたポジティブを実践する必要無いんじゃないかって思ったから。

実はわたしにとって、「死にたい」と言っていた時の方が、彼女の事を何倍も魅力的に見ていた。
きっとそれが彼女の心から出てきた言葉だからかな。だから、またその言葉が聴きたくて連絡したんだもの。

 

何はともあれ、電話の後は一旦は落ち着いたようで良かった。
こんど一緒に遊ぶ予定だから、その時には思いっきり楽しんでもらおうとおもう。彼女の素直な笑顔が見たいから。

今回のことでわかった事。
ポジティブな言葉を聞きすぎていると、人はネガティブに対する抗体をなくしてしまうということ。
その果てに何事もポジティブにしようとして、身体や心に無理をさせてしまう病気になってしまうってこと。

自分に誠実に。何事も判断せずに。今一度、再確認できた出来事でした。

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蛇足します。このまま綺麗に終わればいいのにね。

電話が来た後、この文章を書いてすぐは、彼女の話を直接聞いてみたいなって思ってた。
でもその気持ちを分析してみたら、相手の深い所にある言葉が聞きたいだけだって気づいた。もし明るい言葉を話すようなら全く興味が無い。
私は人が落ち込んでるのを見て、観察するのが大好きなんだなぁと。だって、相手がおもったよりも簡単に立ち直ったことにがっかり思ったことを思いだした。

これは不謹慎だから書くべきではないと思ったけれど、これは嘘ついてない心からの言葉だったから書いた。
すっごく自分本意な、偽善の態度。しばらくの間は向き合っていきたい。

中身にしか価値がない人間だっているよ。こんなに赤いからいいじゃん。

中身にしか価値がない人間だっているよ。こんなに赤いからいいじゃん。