人に感謝すること。どうして素直に感謝できないのか。

自分では十分に感謝してるつもりだよ!でもそういう風に見えてないなら、感謝してないのも同じだよね。

年末になって「皆様のおかげで〜」という趣旨の記事が増えて来ました。
書いている人の中には本当にそういう風に考えている人や、年末の区切りとしてとりあえず書いている人もいるかもしれません。ともかく挨拶をしようとすることによって、自分の中で今年一年を振り返り、整理するキッカケとなるので悪いことでもないでしょう。年末の挨拶は来年から心機一転、清々しい気持ちで迎えられる用意としては最適な気がします。

自分も感謝はとりあえず別として、整理する意味で今年一年間の出会いについて考えてみました。でも無理でした。会った人それぞれに感謝はあります。でも日本人的な、その巡り合わせ”縁”に対して感謝するという気持ちがどうしてもでてきません。「自分の行動の結果、その人達にであえたのだ」という慢心があるからでしょう。書いている今だって、慢心ではなく、事実だろうと考えています。

もとより私はそういう形式ばった挨拶、感謝は大嫌いです。言われるのも返すのもめんどくさいから。でも社会で生きるために頑張ってきました。「こいつこんなこともできなのか。感謝できない奴とは仕事したくないな…」と思われたくないから見た目は繕います。でも中身がない空虚な感謝は相手にも伝わるし、外見ばっかりの感謝に意味はないと思います。私のそういう感性が尖すぎるのかもしれませんけれど。

だから私は年末の整理としてまず、感謝とは何かについて理解するために、『自分はなんで感謝できないのか』について考える事にしました。

以前、彼女に「話す前に相手がどういう風に感じるか考えた方がいい」と怒られた事があります。私は自分の中に浮かんだ言葉をそのまま発すると、キツイ言葉が出てくるからです。でも気をつけていてもやっぱり言葉使いが治らず、「人を傷つけてしまう(自分が傷つく)事が怖くなったから、人との関わりは出来る限り避けたい」と彼女に相談したことがあります。それに対して「何を言ってんのよ。今まで人との関わりが少なかったんやから、できんくて当然やないの。もしできてなかったら何回でも注意してあげるから。だから頑張って」と返されました。
とっても腑に落ちる言葉でした。今までに引きこもり(不登校)をして友達をほとんど作らず、ずっと家の中で過ごしてきた私にとって、できなくて当たり前だったのです。コミュニケーション能力を鍛えて来なかったのは仕方がない。でもそこから逃げるのは違うと、生まれて初めてはっきりと言われました。

感謝できない事を考える上で、この時の言葉が役にたちました。”感謝する力”と言うと違和感があるかも知れませんが、私は今までそういう力を鍛えて来なかったのだと思います。感謝する力って周りの大人に教わったり、親に教えてもらうことで普通は学んでくるものです。でも私の場合親にそれは期待できず、周りには大人がいなかった。だから学べなかった。
この問題に対しては私は比較的向き合ってきたけれど、まだまだ足りていなかったのでしょう。そのような背景がありながらも、自分で調べて、人のふり見て実践してきたのです。そういう意味では、今年素晴らしい縁に恵まれたのは、google先生の存在と私の努力によるものでしょう。でも本当に大切な感謝の意味については理解できていませんでした。

でも今年は生まれて初めて、感謝を伝えたい人に沢山出会えました。そのおかげで感謝する事の本当の意味でについて少し理解できた一年ではないかと思っています。そして今年の縁の全ては、その方との出会いに集約されます。なのでその方への感謝をもって、私なりの今年出会えた”縁”への感謝とします。

近くに居させて頂いた経験は、間違いなくこれからの私の芯を作りました。この感謝の気持ちは一生忘れないでしょう。これから一生かけても返していきます。

皆さん良いお年を!!ではまた〜




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