周りとずれてても良い。自分の”言葉”を大切にする。

ちょっと考えすぎてるぐらいに物事を考える癖があるらしいです。自分ではそう思ってないんですけどね。




最近職場で誰となんの話をするかが決まってきました。この人にだったらこういう話が楽しいかな?とか、この人はこれぐらいの話なら付き合ってくれそうとか。中でも特に深い話をしても聞いてくれる人に言われた言葉があります。

「井上くんと話していると、自分がイメージしているよりもより深い意味で、言葉を捉えてることが多くて、それ理解するのに時間がかかるよ笑」と言われました。話し込んでいると、ついついまだ共通言語になっていない言葉を使っているみたいですね…

この時に私が話した言葉は「最近上手に笑える様になったなぁと思ってるんですよ」。確かにこれだけ聞くと「昔に比べて人と上手に関われる様になったのかな?良かったね」って話に聞こえるんですけど、私はそういう意味で使っていませんでした。愛想笑いが上手になったなって意味で、嘲笑の意味も込めて放った言葉だったんです。
この方は理解力が会ったので、私の言葉足らずな説明でも理解してくださいましたが、普通はそうはいかないでしょう。気遣って話をしているときは多分大丈夫だとおもいます。でもそういう時の言葉って全く自分の言いたいことを表現できてなくてもどかしい気持ちを常に抱えています。

私は人によって言葉の意味って大きく変わってくると思っています。それぞれ育った場所や、受けてきた教育が違うんだから当たり前です。同じ日本語とは思えないぐらい、人によって全く別の意味で言葉を捉えていることもありますよね。私は今まで人との関わりを避けてきた分、人よりもそのズレが大きいのかもしれません。だから先のような問題が起こる。
正直変わるつもりはありません。良い訳ですが伝えたいと思っても、相手に伝わるかは別問題ですから。人よりも大きくなった壁を超える必要はないかなと。その時々は努力しますが、自分の言葉を変えるつもりはありません。

変えない理由はもう一つあります。私は言葉がその人を作っていると考えているところがあるからです。汚い言葉を使っている人が、性格が悪いとかそんな話ではありません。言葉の使い方が、その人の考え方を表していると思っているのです。理論的な人は順序立てて話をするし、芸術肌の人は感じた事をそのまま表現するでしょう。文章を書く人なら、同じ事についていろんな言葉で表現できると思います。同じ言葉でも、それぞれから感じる印象は大きく違ってきますし、その人の見え方も変わってくるでしょう。

いまだしたカテゴリをもっともっと細分化した所に、”井上和行”というカテゴリがあって、私は私に最適化された言語を使っていると思っています。だから私は言葉を変えるつもりはありません。それは私自身を変える事になるし、私自身の個性を消してしまう事になるので。
そして私はみんなの言葉も大切にしたいですね。ちょっとイラつく事があっても、自分とは違う言葉を使っていると思って、強制すること無く理解に努めたいです。だからみんなお話しよ!!

今日はこんな感じで。ではまた~

珈琲牛乳

職場の人にもらいました…




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