教養ってなんだろう

今日も昨日に引き続き人に会って参りました。あんなに人と話すことってないから良い刺激になった。

話をしていて、前から思っていた事を思い出しました。それは教養についてのお話です。皆さんにとって教養ってどんな意味ですか?ちょっと考えておいて下さい。最後に答え合わせをしましょう。

答えを調べる前に、私なりの考えを書いておきましょう。
※ここから下はあくまでも私の”今の主観”で書いています。教養の意味は知りません。

いつも教養って言葉を使うときとか、人の話で教養って言葉が出てくる時に違和感を感じます。「教養を身につけましょう」とか「教養のある人になるには?」とか。多分そういう使い方をする人って、教養が社会で生きていくうえで必要なものだとおもっているんじゃないかと感じます。

私にとって教養は生きる上で必要なものではありません。教養って見せびらかすものではないし、別に秀でる能力とかではないだろうなと。でも教養は欲しいと思っています。この場合には「生きるには必要ないけれど、自分の人生を豊かにするための知識」という意味で使っています。私はただ毎日を過ごすために、生きていくつもりはありません。せっかくこの世に生を受けたのだから、自分が美しいと思うものにはできるかぎり触れて見たいし、世界を作っているいろんな事について知りたいです。

というか、それ以外に人生に楽しみってないのでは?とすら感じています。だから無意味と言われるかもしれない事についてずっと考えていたりするし、本を読むことや自分の趣味の時間をとったりすることが私のとって、教養を育む事であるし、人生を楽しむことそのものだと考えています。まあそれも行き過ぎると「よく生きるとはどういうことか」なんて問いについて考えないといけなくなるかもしれませんが…

また別の使い方としては、人のことを「あの人は教養があって、面白い」って褒めるときに使ったりします。この時は「知識が豊富で、それを楽しく話せる」ぐらいの意味で使ってるでしょうか。
なんとなく教養がある人の話って面白いイメージありますよね。いろんな事を知っていて、引き出しが沢山あるから何を話しても楽しいというか。「それって本当はこうやった方がいいんだよ」ってさり気なく教えてくれたりとか、自分の知らない楽しみについていろいろ教えてくれたりとか。なんとなく自分の知らない事を知っている人に対して、教養があるってほめたりします。

そろそろ答えについて調べて見ましょう。

教養の意味はこちら!↓

学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。

ですって。どうでしょう、皆さんこの通りの使い方していますか?「あいつ教養ないな」とか、「私は教養無くて、分からないです…」とかって使い方は間違ってるってことですよね。(一定の文化理想のもとにという言葉は気になりますが)ルールやモラルの話では無くて、心のありように対して使う言葉だったんですね。

より心が豊かな人ほど、教養がある人だと考えれば、なんとなく私は正解ですね。そうですよね?
みなさんは普段どのように考えていたでしょうか?小さなことでも、私のとは違う考え方をしていたりしたら、意見をきかせて下さい。

今日はこんな感じで。読んでくれてありがとう!
ではまた~

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