大人って大嫌いです。

最近あった人には言いましたが、私はずっと大人が嫌いでした。なぜかと言えば、みんな私の事を見てくれないもしくは、発言に心が篭っていなかったからです。今日はそのことについて考える事があったので書いていきます。

なぜそう思うのか

私の周りにいた大人だけかもしれませんが、私の好きな事に関して話を聞いてくれる人は1人もいませんでした。大人が私に向かってかける言葉と言えば「そろそろ学校に来てみないか?」「補習一緒に頑張ろうな」「このチームに入れてもらってね」etc…今になってみれば、彼らの所謂”優しい”声掛けは理解できますが、それを差し引いても良い思い出とは言えません。
挙句、「将来の事考えてみ?」ととりあえずみんなと同じ事をさせようとしてきました。私の事なんて見ずに、周りと同じじゃない事に劣等感を感じさせてきた癖に、今更周りと同じ様に頑張らないと人生踏み外すと脅してくるのですから。

今でも変わらない大人嫌い

もう21歳になりましたが、今でも大人嫌いは変わっていません。心の篭ってない人が多すぎる…とはいっても具体的にイメージはしづらいと思うので、さっき思いついた例を書いてみます。
例えば電車の中でベビーカーを押す人に対して、「やむを得ない事情があるなら許せる」という人がいます。これだけ聞くと心が広く、優しい人にも感じられますが、私はそうは感じません。私がこういう人に出会った時は『”この人の納得する”やむを得ない事情』を用意しないといけないんだなと考えます。おそらくこの人の中で答えがあって、それ以外の事を言った場合は怒られるか、強制されます。多分疲れるからとか、便利だからでは許されないでしょうね。
しんどいからではダメなの?なんでダメなの??仕事で失敗したとか、取り返しの付かない事をしたとかならわかるけど、そうじゃない場面にまで、ましてや関係のない人にまで文句言われたくないですけど…

多様性を認める社会に

この考え方は今まで人との関わりを避けて来た私特有の考え方かも知れません。しかし、多様性を認めようと思えば、精神論ばかりで、いつも頑張っている姿勢を見せている人ばかりを評価するのは間違っているでしょ。そんなことしてるから、私みたいに頑張ってるフリが上手い人が増えt(ry
仕事の価値観を公共の場にまで持ち出すのはやめましょう。場所によって人の質は変わるしルール、習慣も全く違ってきます。その場にいる全員が幸せになれるような習慣を、みんなで作っていきませんか?

まとめ

私は、本当なら仕事という場においてもこういう多様性が認められるようになったらいいなと思ってます。
そのためには、その人の背景や、その人自身を理解することが不可欠だと思います。自分が満足するためだけの、一方的な声掛けは辞めて、個人との対話を大切にしましょう。みんながちょっとでも意識すれば、世界はより良くなるはず…!

今日も読んでくれてありがとう!
ではまたー

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