メッキの優しさが、自分を苦しめる

昨日柴犬みたいな後輩と話をした。最初は僕が「最近どうなん?」って、話を聞いていたはずなのだけれど、気がつけば僕のほうが「最近どうなんですか?」なんて聞き返されて、沢山喋っていたように思う。

さて、僕の最近がどうなのかというと不調。やっていることが多くて、自分で制御できないことにストレスを感じていた。今は昨日吐き出したおかげで、だいぶ落ち着いているが、昨日までは正直自分がなににストレスを感じているのかをわかっていなかった。

いろいろと整理をするなかで、わかったストレスの原因。それは、自分以外の、外部的要因ばかりだった。誰かにお願いする仕事が増えてきて、そこに付随する人間関係に疲れていた。

僕は普段から「人は一人ひとり違う言語を喋っている」という感覚を持っている。今僕が口にした言葉と、相手が聞いて理解した言葉には、必ず乖離があるという考え方だ。
そして僕は、相手のためにできることは、できる限りやってあげたい。尽くしたいという性質を持っている。

この2つの考え方が組み合わさって、しばしば自分を苦しめることがある。

「あ、いまこの人に僕の話30%しか伝わってないな」と思ったとする。そのときに合わせて「この話は絶対にこの人のためになる話だから、理解してもらわなきゃ」と思ったとする。そしたら僕は、残りの70%をどうにかしてその人に伝えるために、言葉を変えてみたり、段階を分けてみたりして、伝える方法を試行錯誤するのだ。
この「残りの70%」がずっと伝わらなかった時。僕は僕を苦しめることになる。

昨日話をきいてもらって、このことに気がついたとき、僕はすごく楽な気持ちになった。原因がわかれば、対処のしようもある。

今回の場合の対処法は”伝え方を工夫しない”ことだ。「自分だったら、相手に100%の純度で何かを伝えられるはず」という驕りを捨て、シンプルに必要なことを伝えたら、それ以上の工夫をしない。それが今後の対処法だ。
※いうまでも無いが、今回の学びは抽象的なことを伝えたいときにのみ適応される。具体的な話(例えば仕事の指示)などは、引き続きわかりやすい伝え方を妥協するつもりはない。

あと、これは蛇足だけれど、できれば自分が好きな表現方法にすることで、伝えること自体を楽しみたいとも思う。その時に相手に伝わってなくても関係がない。発信する側の僕だけが工夫する負担を強いられてる状況がおかしかった。受け取る側も、もうすこし負担してもらったって、別に問題ないはずなんだから。